ある種は
ある種は芽を出し
ある種は種のまま朽ち
あるものは根を葉を伸ばし
あるものは成長することなく
枯れて落ちる
時がくれば
蕾は花となり
いつか種をつけるだろう
そこにはどんな宣言も後悔もなく
怒りや哀しみもない
ただ人間だけが
そこに時間を持ち込み
哀しみ、苦しみを見い出すだけ
***
2008.7.8 記
スタッフ凡からもらった「田畑を荒らす困ったちゃんイノシシが猟師に肉にされちゃったもの」のバラ肉を強めの塩とコショウで熟成したものを薄切りにして焼いていただきました。
とてもおいしい。
イベリコ豚と似た感じです。
肉は力強く、脂は甘くサラサラしています。
ピーマンは、イノシシのバラ肉の脂の部分を細かく切ってフライパンでカリカリにして脂を出し、それで良く炒めたものです。クミンとコリアンダーとターメリックと塩こしょうで味付けしました。脂が極上なので、とてもおいしく出来ました。
野生のイノシシの肉は「俺は肉になるために生きてたんじゃねえ!」って感じの勢いを感じられました。こういう肉は少量で効くなあ、と実感します。
イノシシの肉は、ウチでは塩蔵してから煮たり焼いたりするのが好みです。
そのほうが、肉は熟成で柔らかくなり、獣臭さが香りになり、脂の質がより良くなります。
沢山ある場合は、塩蔵して熟成させてから冷凍します。
ごちそうさまでした、なむ〜!( ̄人 ̄)
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9月3日(土)〜11日(日)に麻布十番の【さる山】さんにて「起源と発生」をテーマにした紙の作品の個展を行います。
DMが上がって来たので、とりあえずお知らせです〜!
詳細はまたあらためていたします。よろしくお願いいたします。
にへいゆきはる フォリア構成員一同
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‘11 9/2(金)〜11(日)まで石川県の【ぎゃらりー舟あそび】さんの「正倉院の夢」展に出品します。
DMが上がって来たので一度お知らせいたしますね。(^_^)
期日が近づいたらまたお知らせいたします〜!
にへいゆきはる
「ゴーヤの油煮」です。
使うのは、ゴーヤ、ごま油、濃い口しょうゆ、白ごまのみ。
縦割りにして種を取り、5mm程度の厚さに切って多めのゴマ油で炒め焼きします。
上の写真ぐらいに色がついて、シワシワになるぐらい、しっかり焼きます。
(しかし、見本写真はちょっと焼きムラがあります。全体に良い色がつくようにして下さい)
そうすると、苦みが和らいで、ネットリとした食感になり、甘みが出ます。
3割から4割、水分が抜けてしぼんだゴーヤのフライパンに濃い口醤油をじゅわー!と入れて絡めます。
火は弱めてから。あるいは、一度火から外してからでないと醤油が焦げます。一度入れて味見をし、足りなければまた足して、とすると、失敗がありません。醤油を足したら必ず火を入れてジュワー!とさせないと生醤油臭くなりますから気をつけて下さいね。醤油は、思ったよりも濃いめが合います。
しっかり炒め焼きしたゴーヤは、水分が抜けているので、醤油でジュワ〜すると一気に醤油を吸い込みます。それぐらいに、最初にゴーヤを焼かないとダメなのです。
ちょうど良い味になったら、白ごまを振って出来上がり。(下の写真)
暖かくても冷たくてもおいしいですが、冷たい方がゴーヤが苦手な人でも食べられます。
日本酒、焼酎、お茶に最高に合います。
ゴーヤが好きな人なら、もちろん白ご飯とも良く合います。
私は李朝の陶器のもわっとした呑気さがありながら気高い感じが好きなのですが、それで着物や帯を作ったりします。陶器の質感をそのままだと面白くないので、布ならではの感じが出るようにします。
写真の帯はざっくりとした紬の全体にロウ加工をしてロウのムラをつけて厚みを出したものです。柄の部分は顔料で描きます。写真は前柄の部分です。もう片方の柄は、やはり李朝の太縞文です。
今日、仕事場から帰り際に近所のスーパーに寄ったら鯛のアラがあったので
買って鯛の潮汁をつくりました。
残りは、鯛の身をほぐしてお茶漬け風に。
満足〜!
“差別において、明確な差別主義者よりも時に厄介なのは、「私はあなたのような人を差別したりしないんだけど、周囲の人はどうか分からないから、こうしなさい」とアドバイスを寄越すような自称博愛主義者です。「私」が「アドバイス」出来る立場にあると思えること、「私」が「差別したりしない」人かどうかを「私」が決められると思えること、それ自体が特権的な立場にある者の特権であって、その特権の行使をしつつも「差別」の本当の犯人を「私」の外部に配置することは、差別のアウトソーシングです。”
— 共生ネットによる『セクシュアル・マイノリティへの対応に関する要望書』およびそれにまつわる議論について « ブログ『包帯のような嘘』 (via katoyuu)
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ある種は芽を出し
ある種は種のまま朽ち
あるものは根を葉を伸ばし
あるものは成長することなく
枯れて落ちる
時がくれば
蕾は花となり
いつか種をつけるだろう
そこにはどんな宣言も後悔もなく
怒りや哀しみもない
ただ人間だけが
そこに時間を持ち込み
哀しみ、苦しみを見い出すだけ
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2008.7.8 記
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いわゆるエコとかロハスとかいわれるものが、収入と時間のある人の道楽的なものに感じられることがあるのは、侘茶の世界と似ているかも。お金があって豪華絢爛なことが出来るけど「あえて寂れたようなものの美を愛でる」それは「便利な生活は出来るけど“あえて”生活に手間のかかるライフスタイルを選択」と同じなわけですよね。「様々なことを選択出来る立場で、審美眼によって選び抜かれたもの」それは生存にかかわる逼迫した状態で「導かれたものではない」んですね。
今日の満月はこんな感じ。相変わらずたいしたものは撮れませんでした、汗
倍率の高い、スゴい性能の望遠鏡(ライカとかツアイスとかスワロブスキーとかの)の画像をコンパクトデジカメで撮る「デジスコ」という分野があるようですね。あれはスゴく良く撮れていて感心しちゃいます。独自のスキルが必要みたいですね。
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